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岩明さんの漫画と聞いて読みました。
さすが、安定の面白さですね。
歴史苦手でも面白いです。
あと主人公のキャラクターが魅力的かと。


完結まで追い続けていきたい作品です。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2012-01-07 22:44:47] [修正:2012-01-07 22:44:47] [このレビューのURL]

この漫画の為にジャンプ読んでます。
そう思わせる漫画です。

物語の展開から目が離せないので
ちょっと困ります。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-01-07 22:36:19] [修正:2012-01-07 22:36:19] [このレビューのURL]

十年経ったけど、原爆を落とした人はわたしを見て
「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?
この台詞が衝撃的で頭から離れない。

戦中を描いた作品は悲惨な描写が多くて読者を遠ざけている気がするけど、
この漫画はライトな絵柄で読みやすい。
多くの人に読んでもらいたい漫画。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-01-06 23:29:06] [修正:2012-01-06 23:29:06] [このレビューのURL]

雰囲気が最高。

いつまでもこの世界に浸かっていたい、
けれど作中では時はあっという間に過ぎていく。

常に「変わらないもの」を探していたけど、
「変わっていくこと」を楽しみたいと思わせてくれた。

そんな漫画。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-01-06 23:14:08] [修正:2012-01-06 23:14:08] [このレビューのURL]

何よりも「必殺技のでない」テニス漫画であることが重要。
いや・・・ジャンプ連載の某テニス漫画と対極に位置しているなと。
試合のシーンはリアル。そしてタイプの異なる天才の描き方も上手いと思う。試合以上に「人間ドラマ」重視

前作「赤ちゃんと僕」でも思ったことだが、羅川先生は男性が読むのにも抵抗のない漫画を描かれる。
男女で読者を分けないというのは、ファンを獲得する上で重要な事ではないかと思う。
「赤ちゃんと僕」以上の巻数になったし。
テニス漫画の最高峰が現状だとこれ!

ナイスレビュー: 0

[投稿:2012-01-04 08:16:16] [修正:2012-01-04 08:16:16] [このレビューのURL]

 少年漫画は“特別”な一人に対する憧れを描き、少女漫画はありふれた日常を“特別”に描く。とは私が勝手に思っていることだけれど、多分大体において間違ってはいないと思う。
 フラワー・オブ・ライフのことを考えたとき、色んなところで言われるように、思い浮かぶのはやはり彼らの笑顔なのだ。フラワー・オブ・ライフはまさに人生の花を描ききった作品であって、少女漫画の一つの完成形にさえ思える。

 この作品において、彼らはすっごく青春を満喫している。楽しそうで、充実していて、こんな高校生活を送れたら…と願わない人はいないだろう。
 でもそこに不思議と嫌味や嫉妬の感情は浮かんでこない。これは「Papa told me」もそうだけれど、日常を楽しく見せてくれる漫画はしっかりとその裏にある努力を描いているから。フラワー・オブ・ライフでいうと、その努力とはとにかく“空気を読む”ということ。気を回しあって、みんなが一番幸せになる形を作ろうとしているのがしっかり伝わってくる。

 でもそれは決して良い子という意味ではないし、“幸せ”を型にはめようとしないのがよしながふみらしさ。例えば真島を見ればよく分かるように、彼にとってはクラスのみんなと打ち上げをしたりすることを望んではいないし、クラスのみんなも真島に参加して欲しいとは思っていない。じゃあどうするのか?…は読んで欲しいのでここには書かない。
 みんながみんな賞賛する方法ではないだろうけれど、私はこのエピソードが好きだった。全部を手に入れることは出来ないのだから、楽しく過ごすためにはそれなりの代価が必要なわけで。 

 2巻以降のクラス劇なんか本当に楽しいのよ。こっちまで笑って笑ってたまらないくらいに楽しい。でもそんな日常の楽しさを極めた一方、打って変わって最終巻では日常の貴重さが存分に描かれることになる。
 決して“普通”というのは絶対のものではないのだと言い切った時、フラワー・オブ・ライフは少女漫画の枠を超えた。雰囲気が変わるのに戸惑う人もいるだろうけれど、この最終巻があってこそ、それまでがさらに輝きを増すのだ。

 “普通”というのは成長においてもこの漫画の一つのキーワードになっている。成長とは強くなることか?それとも勇気を出せるようになることか?、少年漫画においてはそうかもしれない。
 フラワーオブ・ライフの高校生達も最終巻でそれぞれが確実に成長を見せる。でも彼らにとっての成長とは、自分が総体的には普通であると認めることだった。友人でも恋でも相手への感情と相手の自分への感情は決して等価ではないし、自分が本当に欲しいものが手に入るとは限らない。だからこそ自分の殻を破って人とつながれるようになるのだ。春太郎と真島が主軸であったにしろ、細かい所まで読み込むとほとんどのキャラクターにしっかりと見せ場と成長があったことが分かって素晴らしい(尾崎は知らない)。

 よしながふみは彼らの青春と成長を華々しく、そして繊細な描写で描ききった。真島の「滋?」はいつもポケットにショパンの「麻子はシチューが得意です」に並ぶ私の少女漫画の至言です。
 これ以降よしながふみが一般誌で連載を続けているのも、もはや少女漫画というフィールドで彼女がやれることはなくなってしまったということかもしれない。でもいつかさらに大きくなってホームに帰ってくるのを楽しみに待ってます。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2011-12-21 00:30:23] [修正:2012-01-04 02:06:07] [このレビューのURL]

9点 エマ

「メイド漫画」・・・・・・・・・・・と書くと明らかに誤解を生じる。

正しくは、「19世紀末の英国を舞台に、当時の階級差を下地にして描かれたシンデレラストーリー」(・・になるのか?)。
作者も女性で、描写は「いやらしさ」は皆無のメイド・イン・ジャパン(日本製)が「萌え」に非ずという、極めて純愛なお話。

しかも状況は「本家・シンデレラ」よりもある意味障害が多いときている。
シンデレラは「灰被り」でも元々は貴族の娘だから、王子様に見初められさえすれば後は「ハッピーエンド」への道が一直線で拓けているが(しかも物語自体は結婚して終わりなので、「その後」の結婚生活についてはそもそも触れられていない)、こちらは結ばれるまでに多くの障害があって、仮に「結ばれたとしたその後に」さらに多くの障害が待ち受けているであろうことが読者にも作者にも、そして主役の2人は言うに及ばず他の登場人物にですら分かりきってしまっているという全てが逆風の中で「愛し合う2人」が孤立する。

主人公は薄幸の女性。幼い頃からの苦労による苦労でどこか「自分自身の幸せですら、叶わないものとして最初から諦めている」。美人なので寄って来る男は多いが、それらを悉く退けてしまうのは幼い頃の家庭環境から他者に優しくされることに慣れていないせいだと思う。そんな彼女を救い出す「王子役」に指名されたのは「産業革命の激動の中で成功を収めた資産家の跡取り息子」。2代目に有りがちな決断力と行動力に欠けるきらいがあり、純朴さが生み出す「さり気なさ」と「優しさ」が取り得。
王子役としてはいささか頼りないのは問題で、それがエマの主人が亡くなって彼女がロンドンを去っても何も出来ぬまま、かといって彼女を探すために家を飛び出すような覇気もないまま「鬱々とした」日々を送る毎日。ついには意にそわない相手と成り行きのまま「婚約」までしてしまう。

しかし、エマが片田舎で出会った貴婦人が「王子の母親」だったところから運命は再び愛し合う2人を結び付ける。あちこちから「横槍」が入ってくる中で好意的に見ても味方の数は少なく、状況は決して好転してはいない。ここに至ってはもはや荒波に揺れる舟を漕ぐは「2人の愛」という名のか細いオールのみ。

果たしていかように転がるか?まずは「さて、一同お立会い!・・・・」である。

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[投稿:2010-06-18 21:47:02] [修正:2012-01-03 09:50:31] [このレビューのURL]

9点 青い花

「放浪息子」で性不同一性障害を扱った作品を描いていることで知られる
志村貴子氏の女子高を舞台にした作品。

松岡女子高等学校に入学した「万城目ふみ」ちゃんと、
藤ヶ谷女学院高等部に入学した「奥平あきら」ちゃんは幼馴染。
小学生の頃はしっかり者のあきらが大人しくて泣き虫のふみを守っていた。
でも、ふみちゃん家の引っ越しで離ればなれに。やがて忘れていった。

が、2人が高校生になってすぐに運命的な再会が待っていた。
通う高校は別々だが「共に女子高」も何かの縁か?
ふみちゃんはひとつショックな出来事があった・・・・。
従姉妹の千津ちゃんが結婚してしまう。
実はふみちゃんは千津ちゃんと一線を越えた関係が・・・・・。
身体を許した相手の裏切りともいえる行為にふみちゃんは泣き崩れるしかなかった。

傷心のふみちゃんが高校で文芸部と間違えてバスケ部に入部してしまう切っ掛けとなった
先輩との出会いがあった。
同性愛の女の子と同性愛ではない女の子。
冒険の始まりが「ボーイ・ミーツ・ガール」であることは
宮崎アニメの名作「天空の城ラピュタ」を観れば明白であるが、
では「ガール・ミーツ・ガール」は何のスタートなのか?

付き合うことになった先輩との関係は親友となったあきらにも言うことを躊躇ってしまうような「秘め事」のようなもの。
実は先輩にも秘密があった。先輩は以前はあきらの通っている藤ヶ谷女学院高等部に通っていた。
でも、好きになった演劇部の顧問の先生に受け入れてもらえず退学した。
で、その頃の後輩の女の子に先輩を想い続けている子がいて、あきらの友人。

進むのは茨の道か?はたまたけもの道か?
「女の子」って男の子よりも同性愛に陥りやすいのかもしれないな・・なんて思った。
心細いとき優しくされたら・・・可愛い子を可愛がることも抵抗はないだろうし・・・。
そして「少女性」は陽炎の如き青春のごく一瞬の煌きにも似たものなのかもしれない。
人は「同じ場所に一瞬たりとも留まってはいられない生き物」なのだ。
だからこそこの作品ではそのせつなさが「一層映える」のである。

漂うのは「危うさ」である。嵌りやすく、惑いやすいのだ。

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[投稿:2010-07-11 23:18:39] [修正:2012-01-03 09:48:19] [このレビューのURL]

確かに「改蔵」よりもネタ的には大人しくなった印象はあります。
しかし・・・同雑誌連載の「花形」を作中で堂々と批判する姿勢は「買い」です。


作品としては、久米田先生を「南国」の頃から見続けてきた方には、先生がどれほど作家としてレヴェルアップされたかは良く分かっているはずです。
「南国」のときは下ネタに頼るしかない、ハッキリ言ったら三流漫画家だったのだが、「改蔵」で大化けされました。カクカクした見難い絵柄が丸みを帯びた見易く可愛らしい画になり、ストーリーも少しずつ下ネタが減り、ついにこの作品中では「下ネタ決別宣言」まで飛び出していました。

下ネタに頼らないと描けないうちは「所詮は三流漫画家」の域を出れないということの証明でしょう。
長い間、漫画家として活躍されている先生の多くは最初はヒットを出せても年月の経過と共に衰退していく方が多い。
けれど久米田先生の場合「元(「南国アイスホッケー部」)」が悪かっただけに、これ以上は悪くなりようもなかったことが幸いした(笑)。
後はドンドン良くなるだけ。

個人的にはマガジンに移ったのだから、自他共に認めるライヴァル(?)の「ネギま!」の赤松先生ともっと張り合っていただきたい。
それこそかつての「お笑い漫画道場」の富永先生と鈴木先生のように(笑)。

ナイスレビュー: 0

[投稿:2010-11-30 22:41:00] [修正:2012-01-03 09:46:28] [このレビューのURL]

真っ向勝負のガール・ミーツ・ガールを描く百合漫画。
この絵の上手さ・可愛さ・美麗さがなければこの世界観は描けまい。

地味めな高校生・真理子が女子校1年生の2学期、それまで話したこともなかったクラスメイトのあっこに
話し掛けられた。おしゃれや化粧品に詳しくて、友達が多くて、賑やかで、
自分とは正反対で・・・・・・・・・・・。
最初はあっこが自分に近づいてきた意図が分からずに戸惑うばかりだった真理子。
けれど彼女と付き合ううちに自分がそれまで知り得なかった新しい世界を知り、
新しい自分を見出していく。切っ掛けを与えてくれたのは彼女。
いつしか2人は親友に。正反対の性格がどうして惹かれあったのだろう?

そこから始まる2人が結び付くに至った理由とは何か?
それを解き明かすための物語。
ボーイ・ミーツ・ガールが「冒険の始まり」であることは多くの作品で証明されている純然たる事実。
では、「ガール・ミーツ・ガール」は何の始まりなのか?

「恋は友情を前提とするもの」なのか。
それとも「友情の延長線上に恋が存在する」のか。
では「愛情」は?
女同士であろうと、親友であろうと、惹かれあう気持ちは止められず、好きな気持ちは抑えられないのだ!!!
たとえいつの日か終わりを迎えるときが来ようとも、共に過ごした日々は生涯の宝となって胸の奥のしまわれることだろう。

男子を追い出しての青春に一喜一憂するも良し、悶々とするも良し。
陽炎の如き儚さを少女たちの愛らしさの中に見るも良し。
さて、一堂。最後までお立会い!である。

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[投稿:2010-12-04 23:27:55] [修正:2012-01-03 09:45:37] [このレビューのURL]

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