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10点 寄生獣

新一とミギーの会話や「勢い余って2周しちまったぜ」などセリフが面白い
戦闘シーンにも色んなパターンがあって面白い
色んな要素を10巻という少ない巻数に詰め込んでいるので密度が凄いです

一番好きな漫画 10点です

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-05-28 07:45:25] [修正:2019-05-28 07:45:25] [このレビューのURL]

正直、第三章とゼロクロイツの後に10年も待たされるとは思いませんでした。


このまま連載中断とならずに掲載誌を変えてまで第四章が始まった事は当時追っていたファンとしては嬉しい限りですが、
ここまで間が空くと、いきなり読み始めても、ストーリーもキャラも記憶がおぼろげでした。
せめてもう一度一章?三章を読み直してからもう一度読んでみようと思います。
ストーリーのノリは変わっていませんでしたが、画力も大して変わってないな…というのが正直な所。
「完結してくれりゃいいや」程度のモチベーションに下がってしまったのが残念ですが、あれだけ待たされたこの賞がはたしてどんな展開を見せるのか…は少し期待してみます。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-05-26 21:11:35] [修正:2019-05-26 21:11:35] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

いきなり結婚から始まる夫婦コメディをサンデーでやる意欲作(?)
事故の真っただ中で出会った女の子にいきなりプロポーズして再会後に本当に結婚した。
夫婦生活は同居するが肉体関係には至りませんので、男の子の暴走で話を進めるのと嫁さんに謎が。
「婚姻届け」という形式的には結ばれても夫婦的にはまだ結ばれていない。
男の子の側からすれば正々堂々女の子を求めてもいいはずだが、結婚がいきなり過ぎて進めない。
赤ちゃんはまだ持てるような状況では全然ないので、とりあえず・・・避妊具を購入して悶々としておきましょう、主人公・・・・・。
但し、男の子の側が求めれば奥さんは身体許してくれそうな感じはする。
結婚する以上、それは覚悟していることだろうし。
現在は同衾したり、胸揉ませてもらったりしているような段階。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-05-08 11:01:31] [修正:2019-05-08 11:01:31] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

「あずみ」の続編です。
主人公の名前は「あずみ」
前作の主人公と同じ名前で、見た目も同じです。
でも、前作の主人公とは別人です。

前作の舞台は安土桃山時代から江戸時代。
今作の舞台は幕末。

幕末の動乱の中で、刺客・あずみが活躍する物語となっています。

前作あずみとの人物やストーリー上のつながりはほぼありませんが、今作単独で読むのではなく、前作と比較しながら、作者の意図を想像して読むほうが楽しいと思います。


今作のあずみには「駿介」という兄弟がいて、彼がもうひとりの主人公となっています。
駿介とその家族を巡っていろいろ事件が起こります。

駿介がいるので、作者は話が動かしやすそうです。

前作あずみほどのグロ描写はなく、読者が精神的に安定して楽しめる漫画になっています。
前作が作者の予想以上にメジャー作品となり、ここまでメジャーになるならグロは控えなきゃとか作者が思ったのかも、とかそんな想像をするのが楽しかったです。

実在する人物の中では、坂本龍馬が群を抜いて好漢に描かれており、作者の坂本龍馬への愛を感じます。
(「おーい竜馬」の作者さんですから当然といえば当然ですが…。)

剣士が活躍する漫画なのに、殺陣シーンがいつもややかっこ悪く描いてあります。
作者の力量的に、殺陣シーンはかっこよく描こうと思えばいくらでも描けそうです。
それでもかっこよく描かないのは、人殺しがかっこいいはずがない、という作者の価値観の表れなのでしょうか・・・?

けっこう楽しめる漫画なのですが、最期はあまり盛り上がらず、あっさり終わってしまったのが、残念です。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-04-18 22:42:45] [修正:2019-04-18 22:44:56] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

まあ『ドラえもん』の漫画としての面白さや出来の良さは私も否定しませんよ。でも、人生を破滅させるぐらい非常に有害な漫画だから(笑)。
大体『ドラエモン』なんて下らないと言うか、現代民主主義の権化のようなものだからな。
私の子供の頃からあったけど大嫌いだった。

何が嫌だって、あんなに人間の苦悩や夢というものをいとも容易く解決してしまうってところだよ。自分で努力して涙を流して解決することがない世界なんて子供心に不審を抱いていたからな(笑)。子供があれに夢中になれば、他力本願で目の前の苦難から逃げ出すだけの卑怯で惰弱な人間に育ちますよ。
また、同様の理由で『ET』という映画も大嫌いで。指先をくっつけただけで理解できます、なんて冗談じゃない。人生をバカにしたものは駄目なんだよ。

のび太は逃げてばかりの現代人の象徴なんだけど、決してダメっ子なんかじゃないんだよ。自分の力で解決しようとしないだけで。
のび太はいつもろくでもないことでドラエモンに泣き付くだろ?あの思考回路がもう駄目なんだよなぁ。だから、いつまでたってもイジメられる。

そして、そういうダメ人間がドラエモンという悪魔と出会ったんだな。
ドラエモンはのび太を永遠にダメなままにする存在なんだよ。努力させずに助けちゃうじゃない。しかも報酬はゼロ。どら焼きでもたまにやればいいんだろ?
要は現代人はああいう人生を望んでいるんだよ。誰かになんとかしてもらう他者依存の人生を。自分で運命を切り開く涙を厭う人生なんだよ。

私が一番嫌いで許せないのは、あの解決方法が卑怯だからなんだよ。
ドラエモンを読み取れば、卑怯者の物語と言えるんだよな。あんな卑怯な生き方を親友にさせるドラエモンなんて友達でもなんでもないよ。
また、のび太みたいなダメ人間を創り上げるのはそういう親だから。

ドラエモンというのは現代の親の象徴でもあるんだよな。子供の壁になってやらないダメ親なんだよ。子供を自分自身の力で物事を何とかしようとする人間に育てようとせず、子供に頼られ好かれることが嬉しいというバカ親なんだ。だからのび太(子供)もダメなままなんだよ。

あれを見ると現代人の「夢」というものも解るんだよ。皆あのマンガに「夢がある」って言うじゃない。その夢というのは、要は自分が努力をしないで楽しむとか幸福になる、ということなんだよ。そんなもの夢ではなく妄想なのな。
冗談じゃないよ。夢というのは自分が切り拓く以外にはありえないものなんだから。夢の価値というのはそれだけなんだよ。
あれが夢のあるマンガだって言うのは、一生掛かっても一つの夢も叶えられない人間だよ。
だって、自分の夢(妄想)を誰かが魔法みたいに手伝ってくれないと駄目なんでしょ?じゃあ一生惨めなままよ。そんな奴はこの世にいないから。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-09 10:03:56] [修正:2019-04-09 21:18:05] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

『ベルセルク』はもの凄いよなぁ。あれは間違いなく大傑作であり、壮大な物語として後世に伝えられて行くよ。

マンガがなぜ文学のように芸術足り得ないのかと言えば、もちろん隠すこと、即ち比喩というものがないためなんだな。まあ、それをやっちゃうと誰もついてこないからなんだよ。芸術っていうものは悲しみを醸しだす、誘引するものだからなんだよ。エンターテインメントは面白おかしくなければいけないんだから、漫画は芸術には出来ないの。
だから漫画の様式、構造というものは、すべて芸術から離れるようになってるんだよ。テーマもコマ割りも絵の要素もすべて、楽しませるために極められてきたんだから。
だが、『ベルセルク』はそこから一歩抜け出している。

まず、あの世界観が素晴らしいわけだけど、それは現代と中世の融合なんだよ。横軸にはな。さらに縦軸としての霊性の話でもあるわけ。
最初に読んだ時には、よくある化け物退治のパターンなのかとも思った。 しかし、その裏側に秘めていたものが現れてから圧倒的な深さを持つ作品になったなぁ。あれを読めば分かるけど、作者は最初はただの化け物退治の物語を描こうとしていたんだよ。単なる復讐物であり、その相手が超常的な化け物であるだけ。そのパターンは実は日常なんだよ。劇画でしゃぶり尽くされているものなわけ。
まあ、中世世界が好きな作家のようだよな。科学などという人間を腐らせてしまう力ではなく、人間自身の力で生きていた時代だ。その大好きな中世と現代というものを融合させたんだな。

ガッツは中世の人間の象徴なんだよ。ただ運命を受け入れて真面目に生きる人間なわけ。
一方のグリフィスというのは実は現代人なんだよ。中世にあんな奴は絶対にいない。運命を受け入れずに自称「夢」という妄想に向かおうとする奴はいないわけ。それをやるのは現代人だけなのな。だから「渇望の王」なんだよ。
しかし作者はここに恐ろしい思想を挿入した。それはキリスト教の異端である、グノーシス主義というものなんだよ。

グノーシス主義というのは、要はこの世界が実は悪魔に支配されている、という主張なんだよな。まあ、あれは宗教と言うよりも多分に実存的な哲学なんだけどな。
だから5人の超常的な悪魔の王(ゴッドハンド)がいて、その眷属(使徒)がいる、という構造になっている。そして眷属たちは、己の欲するままに振舞うことを許されている。
この思想に則って、現代人の欲望を正当化するということを重ね合わせたんだよ。
それがグリフィスの求めていた「自分の国を持つ」という夢だったんだな。あれはもう現代人の有名人になりたいとか、大金持ちになりたい、という妄想と全く同じなわけ。
ただグリフィスはそれを実現できそうな人間として構築されている。それは現代でも通用する、努力を重ねることなんだよ。しかも多大な努力をこなしていく人物に設定された。

一方でガッツには夢が無いよな。全く無い。ただ剣を振る以外の何も無い。しかし、グリフィスはそういうガッツに惹かれて行く。それは何なのか、という問題だ。
それはガッツが真の人生というものを歩んでいる、ということなんだよ。どこに出しても恥ずかしくない、運命というものを受け入れ、それと戦っている人間の美しい姿なんだよな。
グリフィスは違うわけ。ワガママなんだよ。だから他人を巻き込み、その屍を踏み越えてまで進もうとするわけ。

そしてあの「蝕」が訪れる。あれが何なのかと言えば、巨大な運命というものなんだな。誰もが死に滅び行くしかない運命。そういう死人しかいなくなる場所でないと現代人のワガママというのは実現しないということなんだよ。ワガママは必ず潰えて終わる。しかし、終わらないワガママがあるとすれば、それはこの世ではないんだよな。

ここに、この作品の醍醐味である多元宇宙論があるんだよ。あの幽世という存在がそれだ。
あれは私がよく言う「エネルギー」という思想なんだよ。
実はこの世界というのは影なんだ。エネルギーの影。エネルギーが流れて、かくあるべく出来上がって回転しているだけ。それもまたグノーシス主義の思想なんだよ。まあ、相対性理論の世界とも言えるしな。
そのエネルギーの世界、つまり本質の世界に通暁する者たちを描こうとする点に、この『ベルセルク』の最も崇高な魅力がある。
断罪の塔篇を経て、物語は大きく転回するな。この世が今までの世界ではなくなってしまう。あれはエネルギーの幽世が物質世界に融合しつつある新たな多元宇宙を示している。
クシャーンというのは中世世界だ。その王が滅び、中世と現代が融合し、さらにエネルギーがそのまま物質と等価交換する多元宇宙の世界に移行した。

『ベルセルク』の作品世界では、この世を覆っている物質的な秩序が綻んでいる。それは「黄金時代篇」の中で傭兵軍団であるという現実の物質世界の秩序に従いながらも、ゾッドのような化物が顕れることで分かるわけだ。
そしてついに物質世界は崩壊する。
その崩壊は「幽世」との融合によって為されるわけ。つまり、多元宇宙として干渉を認識しなかった「幽世」が認識されるようになった、ということなんだよ。この世の物質の秩序を構成していたエネルギーの世界が見えるようになった、ということ。

まあ、その導入にあたって、私はどうしてこんなにも見事に描写出来るのかという驚きを持っているんだよ。
あれは神智学やユダヤ教の奥義であるカッバーラの映像化だからな。新たに仲間となった魔法使いシールケの精神世界の描写なんて、知る者には本当に驚くべきものがあるんだよなぁ。
「物質がどうして斯くあるのか」という事が、あの作者には分かっているとしか思えないんだよ。タダ者じゃないんだよなぁ。
相当魔術に関して研究したんだろう。オカルトに陥らずにな。

で、私個人はあの「黄金時代」よりも後半の世界が崩壊してからの方が好きなんだけどな。ファンタジーというよりも、歴史的な象徴として読んでいるから。
あれはもうキリスト教社会と、それ以外の世界が融合した、ということを比喩的に表現しているんだな。現代社会はキリスト教的なもの、欧米的なものにあまりにも多く覆われているから分からなくなっているんだよ。

例えば、魔女シールケが最初の仕事を引き受けた村で、その村の教会が建っていた土地は元々水の精霊を祭っていた場所だと教える。
キリスト教というのは、そうやって元々の宗教を潰し、引き受けながら大きくなっていったんだ。プロテスタントが大きな力を持つ以前は、キリスト教もその多くが聖母マリア信仰だったんだよ。キリストそのものではなかったわけ。
その聖母信仰は、元々北欧にあった大地母神信仰とまた結び付いていた。
そういうことが、『ベルセルク』のあちこちに散見される。
あの使徒の怪物デザインの多くはベーコンのものだしな。どうしてベーコンをモティーフにしたのかも分かるとまた面白いんだよな。

まあ、ここからどういう展開をして行くのか、もう私もわからんよ(笑)。作者も実は大いに悩んでいるのではないかな(笑)?
なんせあまりにも壮大すぎるからなぁ。生きてる間に描き切れれば大したものだと思うよ。
ベルセルクは漫画界における『死霊』だからな。未完で終わって何の不思議もない。
「物語」として進行しつつ、読者を惹きつけていくのは大変な労力なんだよな。まあ、こういう作品を描ければ、漫画家になった甲斐もある、というものだろうな。


追記
少しだけ、一応書いておくか。
フランシス・ベーコンという男は、キュビズムに刺激されて人間存在の本質というものを模索した画家なんだよ。
あの顔シリーズが有名だよな。あれを見れば分かるけど、人間というものを探るために破壊と変形を試みた、ということだ。
どこまで変えて人間であるのか。そこに何事か見出そうとした、ということだよな。その発想はキュビズムから得ている。
他にもいろんな動物を合体させて人体を作ってみたり、と様々な模索をしているよ。
でも彼は前半の制作を全部捨てているんだ。ここが重要だな。そして10年後にまた活動を再開したわけだけど、その時に最初に書いたのがキリストの磔刑なんだよ。
ベーコンの研究をしたい方は、この点を重要視するといいと思うぞ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-09 10:23:16] [修正:2019-04-06 19:57:28] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

父子家庭の親子と女子高生が主人公の料理漫画。
妻に先立たれ子育てに苦労する父を見かねた女子高生が
いっしょにご飯をつくろうともちかけて・・・という話。

冒頭から序盤は抜群。
なぜ彼らが一緒に食事をしなければいけないかが丁寧に描かれている。
女子高生の側にもただの同情ではなく家族の食卓が必要なのがよく伝わる。
傷つき悲しい人たちが寄り添う姿をあたたかく美しく描く。

しかし中盤から一気にダメになる。
父子と女子高生がそれぞれに成長するに従い、関係を続ける理由が希薄になる。
なんとなく平和に日々が過ぎていく。

物語の大きなテーマが時間。
母を失い絶望する父子にも、進路に悩む女子高生にも時間は容赦なく過ぎていく。
その中でキャラクターが抗ったり選択したりといった事が
漫画的に求められるはずだが、本作では読者にとってなにも起きていない。

昔話に、いつまでも幸せにくらしましたとさ、という常套句を
そのまま漫画にしたような後半部分。
作画は素晴らしいがそれだけでは楽しめない。

漫画をつくる力が不足しているので、次回作に期待。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-02-07 18:12:16] [修正:2019-02-07 18:12:16] [このレビューのURL]

10点 HELLSING

[ネタバレあり]

『ヘルシング』は途轍もなくいいよなぁ。
『ヘルシング』の良さというのは、一言で言えば「狂気」なんだよ。皆が狂気の中に存在しているわけ。その「狂気」が素晴らしくいいんだよな。

こういう言い方をするとどうかとも思うけど、創作の方法としてはシェイクスピアと同じなんだよ。つまり、ある一つの思想というものを多面的に表現しているの。
例えば『リア王』であれば、全ての登場人物がリア王という一つの崇高な人格を表現するための台詞になっているんだよ。『ジュリアス・シーザー』もそう。だからシェイクスピア文学というのは素晴らしいのな。一つの物語が一つの崇高を描くために全てが集約されているから。

平野の『ヘルシング』もまたそうなんだよ。それは昔ながらの「悪」というものなんだよな。
現代人って善は大好きで悪は嫌いなんだよ。でも本当の悪って実は物凄く魅力的なの。マカロニ・ウエスタンが大流行したのは、そういう悪が魅力だったからなんだよな。
『情け無用のジャンゴ』とかなぁ。棺桶ひきずって歩く主人公なんだよ。
『ヘルシング』ではみんな悪人なんだよな。しかも飛びっきりのなぁ(笑)。だからカッコイイんだよ。全員が狂気の中に生きているだろ?
聖職者だってそうじゃない。「狂信」という紛れも無い狂気なんだよ。だからいいのな。
生き死にを超えた何かでみんな生きている。だから他人の死なんて歯牙にもかけないよな。誰かが死んで悲しんでる奴なんて一人しかいないじゃない。

最初は婦警セラス・ヴィクトリアという現代的な正義が喪われるよな。そこからもう混沌が始まっているんだ。そのセラスも後半はぶっ飛ぶからあの凄まじいロンドンの崩壊がリアリズムをもって迫ってくるんだよ。チンピラのような小悪から一挙に巨大な善と悪の闘争になって行くじゃない。そこに絶対の善も悪も存在しないんだよ。ただ生の躍動というものの巨大な物語になっていくのな。

もう全てが現代民主主義に反するものなわけだよ。だから当然現代では「悪」ということになるな。しかし、そういう「悪」に対して誰も批判しない。敵同士であってもだよ。
例えばマクスウェル。あいつの狂気は神に対する狂信なわけだ。しかし同じ狂信であってもアンデルセンとは違うよな。何が違うのか。
それはアンデルセンが名声を求めずにひたすらに異教徒を潰す人間であるのに対し、マクスウェルは大分人間臭いわけ。しかしその人間臭さの向こう側に何があるのか、ということなんだよ。
マクスウェルは「異教徒狩」というものの拡大を夢みていた人間なんだよ。つまり現代的な名声を求めていたわけではないの。
だから大司教となって自分が軍団を率いることになり、彼は狂喜するんだよな。自分の夢が叶ったからなんだよ。
しかしアンデルセンはもっと深い夢を抱いているんだよな。それは神に仕えることそのものの歓びなんだよ。対してマクスウェルは神の力を振るうことで神の栄光を讃える道を進みながら、それを踏み外してしまった、ということなんだな。
まあ難しい言い方になってしまったけど、アンデルセンは死を望んでいた人物であり、マクスウェルは生を求めてしまった、ということなんだよ。

実はこの二人に投影されているものは、キリスト教の歴史そのものなんだ。キリスト教は初期には殉教を切望する宗教であり、それが拡大するにつれて神の代行者としての権力を希求するものにもなっていったわけ。
それが歴史的に繰り返されてきた宗教なんだな。宗教改革ってそういうことなんだよ。
まあ、マンガだから分かりやすいように無差別攻撃を始めたマクスウェルを誅する、という構図になってはいるんだけどな。
私はアンデルセンのような人物はもちろん大好きだけど、マクスウェルのような人物も大好きなんだよ。人間の持つどうしようもない悲しみの体現でもあるんだよな。

人間はあまりにも巨大なものを前にすると歪んでしまうことも多いわけ。中世までの神を中心とした思想が崩れてしまった背景に、私は巨大なドーム建築というものを考えているんだよ。つまり神を間近にしてしまったんだよな。
神の栄光を讃えるために巨大ドームを建築し続けた。まあビザンティン建築だよな。それが高まって、人間が巨大なことが出来ると錯覚してしまったんだよ。神を讃えながら神に近付くことが出来たと思い上がってしまったんだな。
恐らくは人間は歴史的に過去にもそういうことがあったんだよ。だからバベルの神話のようなものが書き残されているんだよ。
まあでも、自分が信ずる価値に生きて死ねば人間はいいんだから。正しいかどうかなんてことはどうでもいいんだよな。

また、あの少佐は明らかに作者の投影なんだよ。
要は人間とは戦争が大好きである、というな。戦争ほど楽しい祭は無い、ということなんだよ。
「皆そうだろ?」っていうのが平野の正直な気持ちなわけ。そしてあの狂気の連中は全員嬉々としてその戦争に自ら巻き込まれて行くわけじゃない。誰も嫌がってないよな?
皆が敵を「ぶち殺す!」ってなってるわけだよ。全員がそうだから、物語が物凄い加速をするよなぁ。
戦争が大好きだから、戦争をする。そういう単純明快な人物なわけ。だから相手を定めて、戦争をせざるを得ないように持って行くわけだよ。
大義は一切ないのよな。ただただ戦争がしたいだけなんだよ。だってみんな大好きなんだから、何が悪いってことなんだよ(笑)。
非常に素晴らしい男だよなぁ。
勝つか負けるかさえもどうでもいいのな。どデカい戦争になれば、それでいいだけ。そういうことも演説で言っていたじゃない。

戦争って異常に楽しいものなのな。
どデカい闘争をしたかったから、アーカードを標的に選んだんだよ。それに見合う戦力がないとそうならないから化物を兵站した、ということだよな。
しかし、己が化物になっては闘争を楽しめないんだよ。純粋にはな。指揮官は人間であらねば、真の闘争を楽しめない。
それはアーカードの台詞にも何度も出て来るじゃない。「化物を斃すのは常に人間である」というなぁ。よく分かっているんだよ。人間だけが生の躍動を感じられるわけだから。不死者になってはダメなのな。

この作品の本質って戦争讃歌なんだよ。命乞食の現代人を嘲笑っている作品なのな。ジワーーっと染みて生きてるような連中にはわからないものなんだよなぁ。近代以前の「狂気」は。
その現代人の反映がセラスだったわけだ。しかし最後はちゃんとキレるよなぁ(笑)。
要は、戦争は普遍的に楽しいってことなんだよ。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2018-08-09 10:37:05] [修正:2019-01-23 01:10:59] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

綺麗なカイジって誰が言ったのか的を射ていますね。
涯はちょっとマガジンにはブラックすぎたと思います(良い子になーれのシーンがシュールすぎww)

正義感が強い若者のゼロが主人公なので、内容にすこーしだけ明るさがプラスされています。
ゼロは友達に欲しいような、頭が良くて信頼できる人柄です。スレた登場人物ばかりだと読んでて疲れてくるので私は好きですヨ。

生死が関わるというよりは、なっても重体までのギャンブルがほとんどなので、カイジよりマイルドです。
出てくるギャンブルでは、クォータージャンプと指切りジャックの回がスリリングで、解決法も鮮やかで好きでした。

いかにも続きますというような終わりかたが、当時ちょっと納得いかなかったです。それ込みでも名作だと思います。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-01-01 23:13:25] [修正:2019-01-01 23:19:42] [このレビューのURL]

[ネタバレあり]

背景は史実を元にして書いてあり、そこにフィクションの登場人物を織り混ぜて描いてあります。
歴史をよく勉強してあるなと思いました。

宮廷の華やかさで乙女心をゆさぶり、市民の苦悩に感涙させられます。

オスカルやアンドレを初めとするキャラクターは、その意思や感情にリアリティーがあり、引き込まれました。

気高く、品があって応援したくなるような人物造形です。

少女漫画は恋愛だけを描いたものが多いですが、この時代の漫画はスペクタクルロマン寄りが幾つもありますね。
心に残る漫画でした。

ナイスレビュー: 1

[投稿:2019-01-01 22:44:21] [修正:2019-01-01 22:44:21] [このレビューのURL]

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